筋痛性脳脊髄炎発症から2年後に入学した中学校から、卒業まで11年を要した定時制高校まで、勉強は本当に大変でした。
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当記事は、筋痛性脳脊髄炎[ME] (別名:慢性疲労症候群[CFS]、以下ME/CFS)患者である私の「慢性病 と勉強」がテーマの昔話です。

発症までの経緯を簡単にまとめ

雪の日にサンダルで駆け回るほど健康だった私がME/CFSを発症したのが、10歳の誕生日の直前(1995年1月)にインフルエンザにかかったのがきっかけでした。

それから37℃台の微熱、頭痛、めまい、発汗異常などの症状が続き、普通に学校に行っただけで38℃以上の高熱を出すようになりました。

当時は少し休めば治るだろうと思っていたのですが、一向に治らず、のちにME/CFSの診断を受けました。

どんな学生だった?

私は基本的に集団生活が好きです。

学校も好きで、行事には積極的に参加する生徒でした。友達関係も良好で、放課後はもちろん、授業中も(?)いつも遊ぶ相手がいて、楽しい学校生活を送っていました。

小学4年の3学期に発症しましたが、当時は健康だった時の体力が残っていて、支えなしにトイレにも行けないほどに体調を崩す日もあれば、ミニバスの合宿に参加したり、3kmを全力で走れるだけ体調の良い日もありました。そのため、小学校残りの2年は休みも多かったですが、健康なふりをして生活をしていました。

試練だらけの中学生活

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中学に入学したのは1997年4月のこと。発症から2年経ったころで、体力がかなり落ち、親の送り迎えなしには登下校は出来なくなっていました。ずっと37℃台の熱が続き、頭痛が酷すぎて吐いたりする毎日。しかし、ふと凪のように症状が落ち着いて、趣味のラジコンを外で1時間くらい遊べる日も数ヶ月に一度くらいはありました。

中学に入学する時は、行事にたくさん参加して友達と目一杯遊ぶ、楽しい中学生活を想像してワクワクしました。

試練は早速やってきました

中学では定期テストの10日くらい前に、各教科の試験範囲(教科書◯ページから◯ページまでという具合)と、試験前までに提出する副教材の課題の範囲(何日までに◯ページから◯ページまで解いて提出という具合)の一覧がプリントで配られました。

しかし、これをもらいに行くことがなかなか出来ず、試験の5日くらい前にようやく手に入ることが多かったです。当然、課題もギリギリ、期限を過ぎてしまうこともよくありました。

これは結局、中学卒業までずっと続きました。

答え合せをしてもらえない…

試験範囲が分からないことくらい大したことありません。(とっても大変でしたが…)

もっと困ったことは、課題の提出が遅れるとプリントの答えあわせをしてもらえないことです。タイミングよくプリントが出された日に学校にいれば良いのですが、週に1〜2回しか登校できない生徒にとって、これは本当に困りました。せめて答えを知りたい…。

課題が出されたことすら知らずに学校に行って、未提出の生徒としてサボり扱いされ、他の生徒の前で怒られたこともありました。私が普段休みが多いのは教科担任全員が知っていたことですし、登校できた時に課題は必ず提出していたので、これはヒジョーに理不尽でした。

試験対策

というわけで、試験対策は学校が全くあてにならなかったので、当時親が購読してくれていた進研ゼミの問題集を可能な限り解きました。

しかし、その問題を全て解く体力がなかったので、母が問題集に記されている"よく出るマーク"のところを抜粋してA4用紙にプリントしてくれたものを解きました。
問題集にある"よく出るマーク"のところを解くだけより、抜粋のプリントを解く方が達成感があり、安心して試験を迎えることが出来ました。

今思えば、母も体調の悪い中(母は重度のME/CFS疑いです)、よくこれほどまで勉強に付き合ってくれたなぁ、と今この記事を書きながら感謝の気持ちで一杯です。

課題を評価してもらえない…

課題の提出に関して忘れられないのが1年生の3学期、美術の作品を作った時のこと。張り子を作る授業で、途中まで作ったところで体力が尽き、先生に許可をもらい残りは家で作ることにしました。
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▲張り子のマンモス。かなり気に入っていて、今でも棚に飾ってあります。

粘土で型を作り、形にしていく作業は楽しく、すぐに完成しました。

しかし、それからなかなか学校に持っていくことができず、ようやく持っていけた日はタイミング悪く、先生が不在で提出できず。結局、提出出来たのは終業式の直前になってしまいました。

そして先生のところへ持っていくと、先生は作品を見ることもせず、もう成績表書いちゃったから評価できない、と一言。

ショックでした。提出期限を大幅に過ぎていたので評価にならないのは覚悟していましたが、せっかく作ったのに見てもくれなかったことが悲しく、心が痛かったです。


今思うこと
私がショックを受けたことはともかく、内申点に大きく影響する成績がきちんとつけてもらえないのは、子供の将来を考えた時、あまりにも不公平です。このあたりは現代の教育現場では解消されていて然るべき問題だと思います。少なくても、私の子供たちの世代になった時には、変わっていて欲しいです。

続いて高校生活編です!!


長かった高校生活

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高校選びは学力の問題もありましたが、何より出席日数の関係から、定時制の高校一択。(全日制のように朝から夕方まで授業のある昼間部を選びました。)

無事に志望校に合格することは出来たものの、授業は高校とは名ばかりの中学のおさらいのような内容が多く、最初は退屈で仕方がなかったです。

しかし、次第に「高校は高卒資格を取るための場所」と割り切れるようになり、それからは楽しめるようになりました。

何でも英語の勉強時間に

16歳の時に趣味で始めた英語学習ですが、英検準2級に合格した頃には、英語を使う仕事に就きたいと思うようになりました。

そして、その勉強に定時制高校はぴったりだったのです。

定時制の高校は働きながら通学する生徒、全日制に馴染めずやってきた生徒、私のように健康に問題のある生徒が在籍しており、授業中寝ていても、授業にさえ来ていればとやかく言う教師はいません。

定時制特有のゆるい校風の中で、国語の時間に英語、数学の時間に英語、という具合に学校にいる時間をフル活用して英語の勉強をしました。ME/CFSのため、著しく限られた活動時間の中で、学校にいる時間を活用できたことは本当に良かったと思います。

2度目の高校2年生

私の通っていた定時制高校の最長在籍期間は6年間。しかし私は6年を終えても1年分くらいの単位しか取れず、21歳にして自分の高校の編入試験を受け、2年生に編入することにしました。

編入試験は最初の入試より緊張しました。6年も高校に在籍して、それでも編入出来ないとなると恥ずかしいですし、何より、高校は絶対に卒業しておきたいと思っていたからです。

そのため、編入を決めてからの1年はたくさん勉強をしました。

無事に編入が決まった時の安堵感は、今でも鮮やかに思い出せるほどです。

そして卒業へ

高校は体調に合わせながら通っていたので、年に2単位から10単位くらい取るのが精一杯でした。英検や大検(現在の高卒認定試験)を適用したりして、合計11年かけて2011年3月に卒業しました。卒業時は26歳。

在学中はなかなか卒業出来なくて自分に対して腹が立ったこともありますし、劣等感も抱いていました。しかし卒業してみると、定時制高校とはいえ、諦めず高卒資格を取ることができたことが自信に繋がりました。


不登校コンプレックス

ME/CFSにより、中学をみんなと同じように通えなかったことは、強い劣等感に繋がりました。
そしてその劣等感は日常の様々な場面で顔を出します。

TVのクイズ番組を観ている時に「小学校・中学校で必ず習う常識問題」が解けないと、学校に通えなかった悔しさに震えましたし、高校で友人たちの話す「中学の教科書に出てきた作家や作品名」が全くわからず、話について行けない時は非常に悲しかったです。

解消法:将来どうやって生きていこうと考え始めた21歳の時、ある日突然小説が読みたくなりました。小説を読んで人々が自分の悩みに対してどう対処しているのか分かれば、生き方ヒントになるのではないかと思いました。
すぐに図書館に行き本を探してみると、背表紙に「中学の教科書に出てくる」というシールが貼ってある本を発見。それからというもの、そのシールの貼られた本を片っ端から読みました。森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、山本周五郎、向田邦子などなど。それから3年間は年間100冊以上読みました。

そしたらある時ふと、知識がないというコンプレックスはいつの間にかなくなっていたことに気づきました。

意外な影響

学校に通えなくて良かったことは、英語の授業で教師たちの下手な英語を聞かずに済み、自然な発音の英語を学ぶことが出来たこと。NHK基礎英語で英語の勉強を始めたため、ネイティブの自然な英語を耳から吸収でき、やや遅めに始めた英語学習者としては、自然な発音を習得することが出来ました。

学生時代を振り返ってみて

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振り返ってみても、中学時代はME/CFSによる体の不調もさることながら、教師たちの無理解や偏見により理不尽な思いをたくさんし、本当に大変でした。

この記事をまとめるにあたり、よく乗り切ったなと自分をたくさん褒めました。

でも人生はまだまだ続きます。これからも置かれた状況で自分にできる最大限のことをして、幸せ探しをしていきたいと思います。

この記事には英語版もあります>>My Struggle with ME/CFS in Junior High & High Shool